沿 革
沿 革
中国四国産科婦人科学会は,昭和24年7月松山市で第1回学術集会を開催して以来,中国地方と四国地方と交互に開催地を変え,年1回開催している.過去の開催地に掲げたリストは,第50回の会長を務められた半藤 保教授(香川大学)がそれまでの資料を集め50年史年表を作成されていたものに,事務局で追加し作成した.
この間,事務局は岡山大学産婦人科で担当し,機関誌の日本産科婦人科学会合同地方部会雑誌は昭和26年(1951年)12月に第1巻1号が発刊され,以後年2冊発刊されている.
第1巻1号の八木日出雄先生の發刊の辞を読むと,中国四国地方在住の産婦人科専門医が地域的な集団會を持ち,寛いだ気分で知見の交換を行いたいという念願から,昭和14年6月に第1回産婦人科集団會が開催されている.会員制でなく参加費50銭で誰でも参加でき,大体各県を回り8回を終了した時,第2次世界大戦敗戦に伴い,あらゆる機構の立て直しに迫られるという自体に直面している.産婦人科學會も全国規模とした「日本産科婦人科學會」として昭和24年(1949年)発足し,学会に全国8「ブロック」會(連合地方部會)が誕生した.これに合わせ中國四國産婦人科集団會が現在の中国四国連合地方部會に移行したが,発足当時は5大学であった.
連合地方部会の機関誌は,時代の流れに合わせ第55巻(2006年)からはA4版に変更し,さらに56巻(2007年)からは「現代産婦人科」とあらため,表紙には開催地の名所を載せ明るいイメージの英文抄録つきの雑誌へと変貌を遂げている.
学会の在り方も,その時代を反映し様々であったようであるが,第58回(2005年)からは,2日間の学会とし,若手中心のプログラム企画,懇親会などを取り入れるようにしてきた.また,昭和38年からは八木賞(現在の学会賞(八木賞))が優れた論文に対し授与されるようになった.また,2008年から公募臨床研究を開始し,中四国の病院が協力して研究を行い,発信することとした.
2009年6月に学会ホームペイジを開設し,会員への情報発信を開始した.また,2009年の役員会,総会で協議し,日本産科婦人科学会の公益法人化に伴い,2010年4月より本学会名を「中国四国産科婦人科学会」に変更することとし,新しいロゴマークを決定した.
2010年4月